20150618 晴れ

一日がむしゃらに体力使うと次の日は、結構クタクタですが、昔は呼吸さえ出来なく、体力もなく 悲惨だったので、2年かけて普通に一日動けるようになりました。
努力は報われる。
単に精神疲労と体力の限界まで働いたせいで自業自得の結果ですが、最悪な経験をしたわりには、気持ちはピュアで爽やかです。 まあやりたかったからですが…。
元からドジで失敗ばかりですが、医療や世の中のことに詳しくなった事。
日々の読書や勉強が役に立ち、人を支え助ける力が増えた事。
自然や日常に感謝の気持ちが増えた事で、以前より生きるのが楽になりましたが、もう二度とそこまで自分を追い込む思考パターンはキッパリやめようと改めて思う。
自分が死ぬ事になる
また良いお医者様にガミガミ叱られる(笑)

その顔を見ていると、ふとありがとうと思う。
本気で心配する医師は、本気で怒るので、結構感動したりする。考えてみれば、治るからやりがいがあるのだし、叱責はきっと私になら理解できるという熱意がそこにあるからだと。
よく叱られるのが嫌という人がいるが、私は結構叱られるたびに、そこまで考えてくれた事を嬉しかったりする。

健康を失う犠牲は多い。 先天的に病気が治らない人がいる事も含めて。

精神病の昨日書いた少年Aも、先天的な精神の病気なのだ。実際に様々な病気で完治しない人が世の中に絶対数必ずいる。

だからこそ、目先の利益ばかりに囚われず、本質を理解するには、やわらかい思考と情感こそが、必要になる。当たり前の健康がなんとありがたいことか。
要領のいい人は、多分一生理解できないだろう。経験はお金では買えない。生きるのが器用な人は、多分一生理解できないだろう。
そうした意味で厳しい叱責は精神的に大人でしか、深い意味は理解が難しいことかもしれない。

相手の気持ちを冷静にくめる事は、理解する事は、意外に高度な能力がないとできない。日常に共感力や他者視点をもてる事は、知識を持つより重要な能力だと、改めて感じる。

反対に、感情だけでガミガミ怒る人が昔より増えた。忍耐 我慢とは本当に脳が正常に機能してないと、できない。

なかなか…結局は
日頃の訓練でしか、できない能力だと思う。

人が人として
考える力が増したのは、なんとか問題を解決するために格闘し諦めずに答えを探しつづけたからだ。

私は結構不器用で、馬鹿だった為に、沢山の経験と知恵を得た。
叱られ、馬鹿にされ…
それが 自分を成長させて、嫌な事は、実はとても光栄な事に気がつきました。

ありがとうございますと
心から喜んでいます。

賢い人に叱られてなんとか、いきのびた〜(笑) 人生はそんな事ばかりですね。

結構上手に叱るって
とても難しいのです。
結構上手に叱られるのも
とても難しいのです。

叱られた意味の本質を理解するのは、難しいですが
難解な内容を理解できると、なかなか結構なるほどなぁと凄いと思い良いものです。

リスペクトは大切。

それと、自己陶酔している人には、気をつけようと改めて思うのです。

今日も元気に一日過ごせた。良かった。

今はこの暮らしで、かなり満足している。