20140124晴れ

3月下旬のような陽気に 風だけが冬の香りです。
七尾美術館へ行って池田コレクションを見てきました。仏画と仏像の展示もありました。

「仏様は人のかずだけ、いろんな仏様がある」
らしいです。

ほとんどの仏様を詳しく知らない私ですが
夢では、ちゃんと仏様が見えて存在するように明確化してちゃんとした立派なお姿で存在していました。

なぜ見えるし知っているかとても不思議ですが、
とりあえず夢で見た仏様は美術館には、いませんでした。
そうなると夢が教えた仏様は、私がimageした仏様かもしれませんが、それが無知な私には似合わない学問の仏様だったので
やっぱりもっと勉強しろというメッセージだったのかもしれません(笑)

そうした意味で、なんだかわからないなりに、仏様のいうことを素直に聞いていきたいと思います。
ちなみに、以前から夢ですが西洋の神様は奉仕と純粋さを意味した天使が出てきて、その後介護生活が始まったのですが、それが終わると俄然仏様が今はいろいろ出てきて私の人生がいろんな学びの時期にきたのかもしれません。
足りないものを得るように、真摯に受けとめていきたいものです。

(ちなみに一般的なスピリチュアルは無関係なお話です)

そういった訳で神様にはとても素直な自分の、日常です。
なぜこうした話をするかといえば、たまたま私だけかもしれませんが、神様には多分先にちゃんと知りたいものには、必要な情報を信じる人には運命の前にいろんな事で先に教えてくれるシステムがあると思うんです。

おかしな話かもしれませんが、私は多分天使が夢にでなければ、介護を拒否したかもしれません。宇宙に興味をもたなかったでしょうし、困難ものりこえられなかったと思います。仏様があらわれなかったら勉強すらしなかったかもしれません。

現実的に考えたら夢はいつも矛盾とデタラメにしかみえませんが思考のきっかけや気づきには、なるわけです。

私は、どちらかを選ぶ必要に迫られた宗教的な緊張した決断の時にいいかげんにいろんな神様が出てきて縁ができる事は、良いことと肯定すれば、これからの人生の考え方も違ってきます。

般若心経は、ちょうど悩み事がある人にとっては
囚われている悪い気持ち悩み事をはっきり明確化して、気持ちを整理し暗い気持ちから解き放ち光を与えてくれる素晴らしい教えです。

勿論キリスト教にも、似た教えからくる治癒力があります。

よく無宗教の人がいたりするのも、それはそれで
神様は縁がない人

私のようにやたら神様に縁がある人

それぞれに、それで満足ならそれでいいと近頃は思います。

そして木の一本を見るたびに
根の下は土地球があり
あらゆる宗教は一つの地球が生み出した、沢山の宗教世界なのだと考えたりします。

木は知なり木は集まり山になり山は知恵なり、頂上に木は育たず。見えて空しかなし。その姿釣鐘になり、自然を現す。
それも光なくして存在が見えない。