20120420晴れ

ものすごく気持ちいい季節になった。

散歩をしていると
タイプ別人格について思考する。
表現が違う言葉で同じ意味と錯覚していた事実を知る

全てを把握するのは神の領域だが
以前よりある種の戸惑いは確実に減った。
言語による表現方法に、人格の本質から少しでも近づきたいと思いながらいた時期が昔はあった。

個としての尊敬を持つという意味でも…。人は年齢とともに変化し、表現を変えていくが時にはあまりにも違いすぎる場合においては明確に 個性の認識に近づく事ができる。
それは、違うからゆえの利点かもしれない。もちろん、所詮は氷山の一角である理解にしか、ならないのだが。。
得てして軽率かつ傲慢さは盲目の近道だと愚かにも考える一日であった。
一つ理解すると一つ誤解を生むか?
それは謎だねぇ〜。
まあ、それもまた人間。。
神にはまだまだ遠い。だが私の内的ストレスは減ったようだ。
もしかしたら、単にストレスに強くなる為に勉強していただけかもしれないが。
今は時代が大きく影響を与えて人の性格を創る…そういった妄想を時々持たざるおえない気持ちになる。

私は時代を選ぶか?
自分を選ぶか?
結局はいつも自分を選んでいると思いたい。仮に錯覚だとしても…。

林檎は林檎にしか
なれないものだ。
私という人間は
田舎の小さな片隅の農家で地味に暮らしながら、夜空を見て本を読み取り立ててずば抜けた能力もなく宇宙を感じながら己の小さき存在を哀れみしょぼしょぼと暮らす毎日がとても似合っているので。。