20120123雪

天候曇り空観察ならず。
今日は仕事休み。身体のスイッチが突然オフになったようだ。途中起きたが、気力がないのでごろ寝をして一日ゆっくり休む事にした。貯まった休みになっているから明日も新年会の為に仕事は休みにしてある。
去年は入院騒ぎになり手痛い事になってしまったので休みに はちゃんと身体を休ませる事にしている。
珍しく本も読まずにやたらと寝てしまったが、以前ではゆっくり安心して寝るなんて24時間働けますか!的な介護期間中は、こういったのんきな事はできなかったので、嬉しい。
身体を酷使して入院したり病には、なりたくないと思う。

いろいろな人がいろいろな事を言うが、私は自分の意志で判断していきたい。

新聞もテレビも結局は、番組のスポンサーや視聴率の為に、お金で動いている。
せいぜいNHKぐらいがそういった状況に影響受けにくい番組を創っているのかもしれないが、実態は地震の時にお客様から 被害状況の声を聞きながら、地震地域以外にも沢山の被害があった事もふくめて 情報化社会が現実の状況や事実を正確に把握しているとは考えられなくなっていった。私は毎日情報操作されている社会に暮らしている事も含めて…時代の片隅で地味に働いている
平凡な主婦でしかない。
いつか、突然命が終わっても世の中は何も影響がないように 私も多分何も残さずに平凡にこの世から消えるだろう命の一つでしかない。

それでも、小さな光りとして笑顔で生きていきたいと思う。
少しばかりそういった日常の中で月を見たり、いろいろ書物を読んだりしていく毎日に輝きのある発見や楽しみを見いだしていけたらいい。

そういった意味で結局は私の中にある聖書はいつも迷いなく 一貫性のある生き方に常になっている。

それが良かったと納得して毎日暮らしている。

でも輪廻転生もあの世も実は信じていない。肉体はなくなればそれで全てが終わる。墓すら必要ないと思う。 思い出したいのは残された人の自己満足でしかない。
そういった考えだから宗教的な人間ではない。単なる自己満足で神と言うのは変な気がする。神ってそういった存在ではないはずだと思っている。もし人類に必要な愛なら、なぜノアにだけ啓示や預言をしたのだろうか?
沢山の人を上手に助けたら良かったのでは???人間にはかなり理解できない存在で…神の視点はいつも全然常に違うところにある。
多分漠然といつも違和感があった、宗教として、どうにもならない人に対して救いの世界が必要不可欠で天国や地獄が必要だったりした気がするので。。
そういった意味で
いつも懐疑的だ。
疑いぶかい。
見たことないものを信じる事はできない。 天国も地獄も死んでから解ると思っている。死ぬのもある意味新しい経験なら楽しみですよね(笑)
最後の死を目の前にした人は憧れが死にあった事もふくめて 、人にとって自然な気持ちの一つなのかもしれない。

そういった意味で
生を楽しみながら生きていくのが理想なのだと思います。

いつも神は私にどうされたいのだろうか?何を今求められているのか?と考えたりする。

そういった日常で私はかなり変人です。
テレビもいいけど画面が小さくて(笑)
神が見せる天体ショーのほうが、かなり
でかいのが気に入りました。

以前心理学にのめり込みの生活になったのも、仕事ではなく人間が…いつも不思議な存在だったのです。。日常に不思議は、常に、いっぱいある。

そして神は多分何かの為に必要として私を生かしているのだ。それか、なんにも意味なくただ愛で生かしているのだろうと思う。

時々横から声が聞こえる。危機になると
聞こえはじめる
終わると…聞こえなくなる
そのたびに
天には司令塔がある気がする。