月観察になって

私は昔から
雷を見るのが好きでした。
ラベンダーの閃光… 世界が一変する
ものすごく
迫力のある稲妻と
ともに
鳴る音の
恐怖感がなんとも
快感になる
海に稲妻が写る
雲が空を走る
真っ暗な空を
光りが踊るように
素晴らしい!

その一瞬を見たくて
眠らないように
酒を用意して
酔いながら
夜空を愉しむのだ

それが一番美しいと
信じていた。

だが…それ以上に
美しいのが
月である。
毎日見えている
昔はかなり大きく
美しかった月…

そんな月を
双眼鏡でリアルに初めて見た。
始めは本に載っている観測的な判断で見ようと考えて…
熱心に本を読んだ
だが…月の形状が洋梨型だのなんだのと
読みあさった内容よりも、月面の美の迫力に圧倒されてしまう。空間に浮いた立体的な月は、今まで見たなによりも、何故?こんな巨大な月が浮いているの???と
本で読んだ内容を知りつつ、実際に存在する事を受け入れられなかったのだ。
それは、多分カルチャーショックのように、そして心を奪ってしまった。石川の太陽は確かに美しいが…こういう空間を感じる存在ではないからだ。

小さな時から今まで 存在自体が受け入れられないような存在はなかったのかもしれない。
いや、理解できていなかったということ。
今日あるおばあちゃんが、何故こどもは アンパンマンなのかしら?大好きな理由が解らないわね(笑)と言った。
形状を分解し分析する長さにも形状にもBalanceにも、幼児が本能的に好む形が存在する事を理解する私には 不思議でも、なんでもない現象である事は知っていた。だが、何ででしょうね(笑)と笑いながら、あっと理解した。月はそういう法則から外れた存在ではないが、私が無意識に本能的に 求めていた形状なのかもしれない。
そう思うと
久しぶりに月を知りたい気持ちがどんどん出てくる。
そして今日を迎えた。
私は私の中で
まだ好奇心と
新しい美意識感覚的な感性のつき動かされる喜びを
久しぶりに感じた。 もっと長く生きたいと本気で思った。

雷から月の時代に入ったのである。
それを今更ながら
とても嬉しい。
私の中ですべてが
変わっていく。
それがとても楽しい。