アインシュタインの最後の難問

重力を観測できる望遠鏡が開発され、新たな時代の幕開けとなった。常識がまた変わる。教科書がまた変わり、宇宙の始まりを観測して、私達が存在する世界の始まりを知る事ができる時代に入った。 全ての始まりはビックバン塵で、現在は地球という星の乗り物に乗った命の一握りがヒトである。人間は善悪どちらの存在かは、さておいて研究は国の莫大な税金で20年の歳月をかけて進められている。それでもいまだに、地球に遠方から飛来し攻撃的にくる小さな彗星や隕石落下すら大陽の光りで発見も出来ない。地球に住む私達は無知で危機をいまだに避けられない。しかし、宇宙観測が地球の危機をひたすら開発研究を進めて安全の為に監視しているのも事実だ。実際には重力波は小さなものだが、その影響は意外に大きい。量子も研究が進められていて、曇一つすら実はどうできているか解ってない。曇の上も解ってない。雷すら解ってない。地球環境は謎だらけ宇宙はいまだに謎だらけだ。ようやくブラックホールとホワイトホールに近づきつつある。それでも、ようやく入口にたった研究者の執念
にとても感動する。そして敬愛するアインシュタインの予言が現実になって存在が解明された事を、そんな時代に生きている自分を喜んでいる。ニュースを聞いた時に、久しぶりに全身鳥肌がたった。凄い衝撃的だった。良かった、少しは未来に希望がもてると思えるようになった。
アインシュタインが生きていたら、さぞ驚くだろう。そして思考実験と物理数学が、仮説と論理が確かな予言ができる確たる証拠だ。ワカラナイ人ほど、よく数字なんてと馬鹿にするが、数字ほど説得力のある表現はない。所詮日常の思考なんて薄っぺらい計算機みたいなものだ。たいした思考なんて誰もしていない。ありがたがる言葉なんてないに近い。必死に考え苦しみ抜いた時に、初めて言葉はたくたる意味をもつ。それを自戒して、考え抜いていきたい。簡単な事を簡単にただするのは、誰でも出来るが、簡単な事をなぜと疑問にして考え抜いた真実を解明する人はとても少ない。 そうした歴史を感じながら、生きるのも素晴らしいとつくづく思う。。