見える事が人によって違う事。

雷が鳴る。
すざましい勢いで。
雷が鳴ると、冬がきたと声がする。月が虹色の傘をさすと、雨達が来る。

ずっと風は毎日天気を教えてくれ雲は大空に何が始まっているかを教えてくれる。まるで書物のように…。暖冬傾向にある11月は雨達が来なかった。天気予報なんて見なくても、体感で理解できる。数字が生物なら、突然変な動きをしだすと、流れが変わった事が解るだろう。全てが日々にそれを気がつくかどうかになっている。

誰にでも確実に解るだろう。ふと何かが変わった事を…パソコンや頭の思考実験では確実に解らない自然な現象を観測という観点で。ひたすら冷静に現状をそのまま観察する必要性がある。感情はいらない、逆に変な先入観が邪魔になる。私情を入れると、失敗する。だから頭を空っぽにしないといけない。「真」でしか見えないことがある。

誰もが自分は正しい、そう信じたいだろう。だが世の中そう甘くはない。現象にひいきはない、だから悪い現象でも受け入れる度量が必要になる。
そうして初めて見えてくる。これは訓練が必要になる、向いていない人には、かなり難しいと思う。
冷静な観察の情熱が必要なのだ。

そして
見える人は見える人としか喋れない。
そういう事だ。