歴史からの屈辱

もう、科学数学の歴史を読書して何年になるだろうか…。
とくに好きな歴史はアインシュタインが活躍した年代、いつの間にか詳しくなってしまったが…
それで歴史的な屈辱感も学者の方々にある。
戦争前は、科学はあらゆる意味で自由に純粋にただひたすら学問や研究が唯一出来た蜜月の時期だった。戦争後では利益の為に動かない研究者のプライドをずたずたにし、戦争後では沢山の学者の方々が第二次世界大戦後に重い負の遺産を背負った。それは本当に屈辱としかいえない罪を知らない間に戦争に研究を利用されて、人殺しと言われ戦後沢山の方々から、責め立てられた。人間知らない間に罪を犯すつもりもなく、戦争に研究を利用されるケースがある。研究者の方々は、知らないまに国の研究の為に特別な環境に監禁され、何をつくっているかも知らされなかったケースまである。

その黒い歴史は、現代の学者の方々にも危機感と屈辱感、負の遺産として記憶にいまだ新しい。
一般の人に比べれば、その歴史を恐ろしく詳しいのは当たり前だ。

だからこそ、今宣言しなくてはいけないし、反対しなくてはいけない。
それは軽い、パフォーマンスではない。

と…今は信じたい。
私には
単なる読書からの愛着としてかもしれない。私にもエコヒイキがあるんだな。。(苦笑) やっぱり人間そんなものかもしれない。