安保NEWSで大袈裟と言われるたびに

大袈裟と言われるたびに、思うのは現実は…いつも 想像がつかない突然に、災難は起きる事だ。

人生は自分の計画どうりに事は絶対に進まない。

本を読むだびに、過去の戦争の引き金をつくる出来事は、歴史的に調べるとたった一回の交通事故だったりする。過去の歴史を調べると、ものすごく小さな偶然の出来事の積み重ねが、いつの間にか戦争への流れをつくっていく。

夫婦喧嘩に少し似ているかもしれない。
たまたま小さな会話で、言い合いになり、過熱し口論になり、だんだん御互いに興奮してきて、初めの原因の言い合いは忘れて不満が押さえられず、目的が喧嘩の為の喧嘩になる。 もう、最後はどちらが正しいかで引くに引けなくなる。どちらも悪いのだが、勝ち負けが決まらないと納得できなくなり、もう相手との和解は意味がなくなってしまう。

一連の流れができる。
悲しい事だ。出来事の初めを忘れなければ、争いは避けられたはず。
戦争もまた、このように始まる。たとえばなしには、少し変かもしれないが、本当に歴史的には いつも始まりは つまらない事件から歴史は創られる。
だからこそ、そうした歴史をよく理解している人ほど、この流れはとても危険だと…敏感に反応する。大袈裟だと思った人ほど、実際はその歴史の怖さを全然知らないのだ。それは本当に怖いことだと思う。

オリンピックが出来るのも、日本が平和で戦争をしていないからだ。

もう少し安保について、戦争の歴史について関心が高まればなぁと思っている。

自国だけなら、のほほんとしていられるだろうが、日本はある意味とても変な国なのだ。