ムダイ 4

小さな頃にあった大事件と言えば、津波警報が出され避難をした事、自宅前の土砂が崩れて、生き埋めになった事。母が深夜に帰宅して足をなん針も縫う怪我をした事。

その中で、一番記憶がはっきりしているのは、土砂崩れだ。朝に起きると 周りは真っ暗で外から光が入ってなかった。外から大人達のものすごく険しい声が聞こえる。
「今助けるからな!!」
なんの事か解らずに、ふと玄関を見た。その時に 家が何か重いもので塞がれているのをはっきり理解した。その後にどうやって出たのか記憶にない。気がつくと必死に沢山の人が、担ぎ桶で土砂を運んでくれていた。
自宅は倒壊をしなかったが、それから山際は危ないというので海沿いの土地に新しく家を建てる事になったらしい。

自宅前は粘土質の傾斜になっていて、何年も水が自然と吹き出ていた、毎日見ていたのに、崩れてくるなどとは考えもしなかった。津波でも避難をして、明日はどうなるかすら解らなかった。避難場所であそこが水没したらどうしようと、大人達は一応に心配をしていた。結局は事なきを終えたのだが…。母の痛々しい姿にも、真っ赤な血を流す姿も、小さな私には明日はどうなるか解らない という不安を漠然ともつようになっていった。
自然がかくも怖いものでしかない事を、なぜか恐怖と好奇心が入り乱れたような心境になっていながら、奇妙に元気でふるまっていた。
その当時なぜそこまで元気でいられたのかは、解らない。とにかく沢山の大人達がみんな知らない人ばかりで、困っていたのを覚えている。
初めて見る、助けてくれる人のありがたさと力を。地域が助け合いながら 暮らしていたのが、はっきりと初めて理解できた。
そして、その漠然とした不安は性格的に心配性になっていった。
それと同時に、母が寝込むたびに看病するようになっていく。幼い頃は、体が弱くたびたびアレルギーで体が腫れ上がる蕁麻疹で、体力的に弱い自分が母を悩ませたが、その痛々しい記憶が母を看護する気持ちにと変わっていった。良い事をするというより、私には当たり前の行動だった。そんな私に中学初めの1年初めて感動をくれたのマザーテレサの一冊の本であった。その当時から対極的に善と悪をしろうと思い始める不思議な好奇心を成長とともに、もつようになっていく。
母には本気でマザーのところへ行きたいというと、金持ちの育ちがよい娘さんしか、働けないと言われてショックだった。
善に感動しながらも、闇の自分は催眠術やニセ科学に興味をもち、幽霊や呪術に好奇心をもち始めた。 二つの光と闇が心の中で、成長を始めた。
とりわけ、催眠術は愉しかった、人はどうして暗示にかかりやすいのか?を面白く思ったが、途中でクラスに一人何が原因か解らないが泡をふいて倒れたのを見て、コックリさんが流行っていたので、やめてしまった。
先生がクラスの全員にやめるようにいっていたが、先生の意見より、一人の被害者が酷すぎて、自然と誰もがしなくなっていった。私は暗示にかかりにくい体質だったのだが、友人は違っていた。半狂乱になってしまった人もいた。それと同時に、私には人と違う事を知る。
死んだ人が話しかける声が聞こえる能力があった。つまり、イタコみたいな能力である。
精神の医学では、幻聴ともいう。
それで、気疲れをして、どんどん精神は病んでいった。何かにすがらないと生きていけないようになっていく。あらゆる手をつくしたが医学では直らず、精神不安が完治したのは聖書を読む信じるようになってからだった。闇の住人が死人の声が、聞こえなくなるようになり、一夜で元気になってしまった。教会の牧師さんとお友だちの祈りで、おさまってしまった。
救われるとは、理屈では
言えない経験をもつようになり、受験勉強よりも命を守ってくれる聖書が教科書になってしまった。そこには、沢山の奇跡が書いてあった。
それと同時に、存在せずに聞こえる声や恐怖が、
たわいもないくだらない弱いことにしか、思えなくなっていく。
その存在は悪魔で、倒すだけのか弱い無知な存在になってしまった。
私の中では絶対の驚異的な力が聖書に生まれた瞬間でもあった。そして、ものすごく信じられないぐらい元気になっていった。
そう、今なら理解できるが、この年齢では精神の成長と身体がアンバランスで、哀しみや不幸に耐えられないのである。
倒れた人は皆不幸経験が強かった。その心の不幸感が無意識に肥大していくもの達が、次々と倒れていったのである。
そこに幸運にも、新しい神の力を得た事によって
そして精神不安は静かにおさまっていった。
お陰で受験は失敗し、散々だったが、私の中では 絵を描く事が一番大切だったので、あまり深刻になっていなかった。
母はうんざりして、できの悪い私に絵を描く事で生きていけないと毎日罵っていた。とにかく母の思いとは逆の道を選ぶ私にいつも、あいそをつかしていた。そして、ならばと輪島塗職人のオファーがきたがなんだか違うきがして断ってしまう。

母は、我慢できなくなり家から出ていけ!といい、自分で食べていけと怒鳴り私は家から出ていった。それは15歳の時だった。自宅では兄もまた15歳で自立していたので、今から思えば、当たり前ですが、その同時に、捨てられたような私には明日は見えない人生の転換期となる。
反抗期でもあって、なんでか自分を信じる気持ちだけは一人前だったので
不安はなかった。むしろとても闘争を感じる奇妙な気持ちが支配していた。その当時に聴いていた音楽は、やはり反体制派の過激なジャンルで、原発反対やら天皇制反対やら、異常に社会を憎むmusicianに傾倒していく。
それか、賢く考えて音楽をつくり、狙ってヒットを必ずつくるmusicianを好んだ。
どんどん社会も、そうした若い世代を潰していく見えないようにしていく流れになっていた。
その当時に誰もが不安がりながら原発を認める方向になっていく。
私の中では、世の中の正義が全て崩壊する時代になった。
戦争を忘れ、原発問題を忘れ、ただひたすら裕福な生活を手に入れる事に熱狂する時代。
そんな社会を嫌気がさして見ていた。好景気というと、金、金というたびに、うんざりして不幸だった。

大好きな海に不気味な危険な原発を見るたびに嫌気がさした。
自分で調べたが安全なんて、一つもなかった。

社会に見棄てられ、家族に呆れられ、受験に失敗し、行き場を失った私には自立しか道はなかった。
それなのに、なぜか清々していた。
母は古い、これからはそんなんでは無理だと自信過剰になって、我が道を切り開く事にした。
その時に母は繊維会社の就職先と定時制高校の入学を教師と相談し決めた。
家を出れるという事実と家を出されるという事実があったが、なんでが惨めながら変に喜んでいた。解らない先の未来にわくわくしていた。
胸中は早く自立できるという、喜びもあったのだ。それが15歳の1年だった。
神秘体験が私を救い、人生全てを変えてしまった時代だった。
そして、全てをなくした時代でもあった。
あれから何年も心理学に興味をもち、本を読んだが奇跡のおこしかたは書いていない。それでもしつこいほど読んでいるのは、人間の力を信じたいのからかも、しれない。
それか、やはり神には勝てないと思いたいのかもしれない。
つまり人と神の強力なくして生きれないという事実を確認しているのかも知れない。
知性を考える時に、宗教は私の中では必然になっていった。
人の知性と神の知性は、全然違う。そうした神の神話を奇跡を信じれた時代だった。
そして、全てを捨てた私は将来学歴をもつようになる。ただひたすら絵を描く人生を手に入れる為に…そして人生の最悪な経験の数学や科学が医学が、将来の介護や人生に疲れた限界の私を新しい知的好奇心を目覚めさせ覚醒し世界が広い事を生きる力を物理の分野を与え自らを救う日がくる事すら、まだ知らない時期であった。

本当にひたすら、無知で愚かで幼い頃であった。
純粋でも、あった。
だが、その純粋さを一番毛嫌いしている自分がいた。

この時期は正義がとても単純な意味をもった言葉でしかなく。理想に燃えていた若い自分がいた。

それは、後に打ち砕かれてゆく。16歳春だった。
人生で一度だけ感動し涙が溢れ止まらなかったマザーテレサの本は私にとって特別な人になった。