20141205雨

ここのところ
かなり趣味に離れていた日常で久方ぶりの読書だったので、なぜか読みながら、どうも新しい仕事の影響からか、うまく読めない?結構変な感じになっているが、久しぶりに読んで新鮮さが以前より増した気がする。

まあ、日常読みとくことをするのは本だけではないけど。

解らないが解る
それがなぜかは解らないが解るという漠然とした直感を複雑な事を分析し整理し再度表現にできるように言語にするという行為が、大切だと近頃は、つくづく思うわけです。
数学だと簡単に表現にできて、文章だと嫌になるほど長く説明しなくてはいけないのが、かなり面倒くさいのが今の私で…重症で病んでます(笑)
なんとかバランスよくなりたい訳ですが、もっと本を読まないと病は治らないかもしれないですね。

結局は誰もが、自分なりの考え方で新しい表現にして発表したいわけで、それが良い悪いは別にして、最終目的はそこなんだとやっと近頃思えるようになったわけです。

以前はその問題の根底にある表現に対してでさえ 臆病風にさらされて、絵を描いたりして誤魔化したかのような微妙な未完成の終わってしまった感があり、そうではなくても良いことがこれからあっても、いい気がしてきました。

要するにきちんと完結したいのです。
感覚で終了ではなく
「空間」で表現を完結したいのです。

所詮は断片的なドラマを切ったような出来事であっても、そこに深い意味がある喜びを見つけられると思うほうが面白いわけで、だからそれで何か得をするわけではないのですが、少しは理解に近づいたという実感がわきます。

視ているのはボールではないが、観察者としては
それがボールだろうが、なんだろうが、変化するわけでつまるところは「自然」には変わりがない。

そこまでいきつくには、かなり回り道をしてしまいましたが、これで今更に苦労もしますが、なんといわれようとそれしかできなかったというのが今の事実です。

そんなものなのかも
しれません。
唯一の救いは、それで今は後悔がないという気持ちだけは確実にあるのです。

そこがもしかしたら肝心かなめかも、しれませんね。