20140919晴れ

何年か前に科学雑誌を購入しはじめた時から今日までを振り返りながら、昔は、地球のimageは単に撮した写真での風景でありただありのままのsimpleなものだったと思う。
だが今は地球を半分に切断し構造を理解しようとしたり、考えてみようとしたりする能力がついた。
言葉で理解する意味合いとは、少し違う気がするとつい最近は思う。

そう、分析で読む
批評で読む
狙いを知る
構成を知る
色彩で知る
沢山の読み方があるが
それで、今さらながらだが一つ足りない事 に気がついた。
「本と対話する事」
である
自分ならどうだろう?
世の中情報は沢山ありすぎるぐらいある。
その中で私が対話できる本は何冊あるだろうか?
そんな事を考えはじめている。
そう、好きな物理や小説はよく御互いが対話形式なのだ。

勿論考え方は違う両者が理解しあえ共有し共感できる時もあれば
対立的なまま論争をする場合もある。
それは、とても良いことだが、読書して自己完結して終わるとかいう読み方では、つながる何かがない。日常の会話でもそう、自己完結型の人は発展がない。会話が成り立たないのと同じ。
だから創造力もないし、話の展開も途中で終わる。
もしかしたら、そういった複雑な事を考えるのがめんどくさいのか?
たびたび、そういった事に対して精神が疲れやすい人?が結構いたりする。
そんな人はとりあえず横において
私はこれからそれを意識して読んでみたいと思うようになった。

ファインマンみたいに
感性が近く理解しやすい人だとスルスル読めたり
逆にものすごく苦手な人の本もあり難解になる読書も対話形式だと良いのかもしれない。
いちいち腹立つかもしれないが(笑)
そういった読書も楽しいと思えるようになった。 そんな気づきの一日でした。