20140904晴れ

久しぶりに映画を見た。
ゼロ グラフィティ
私のこの映画で一番気になる内容は宇宙ゴミ問題である。主人公が、生死をかけようが人生に何があろうが関係者が死のうが、あまり本音どうでもいい。実にフィクションとはいえ、現実的な問題をあらかさまにした、映画である。

不思議なものだ。
ゴミが沢山あるのに
視覚では見えないのである。毎日空を見ても、実際には見えないゴミ。
高速で動くゴミは、星と違い巨大ではないから判別はつかない。虫も早く翔ぶと見えないが、そうした環境で今後生きていくという苦しみを与えたのは、国である。
地球環境を人間が綺麗にしても、国での無責任な行為で宇宙から巨大なゴミが高速で墜ちてくる。(笑)そして、被害が出る。時々考えるのは、雷と、このゴミが連鎖反応した時に自然はどういう新しい現象を起こすのだろうか?本当に恐ろしい。
薄い守られた大気が牙をむき、生命を脅かす時代がきた証。
本当に現実に地球の脆さを理解した時に、結構愕然とすることは多い。

見ると晴れた美しい青空。 それは、単なる私達人間の能力不足による錯覚でしかない。
地球環境問題は、今では戦争より人命被害拡大の
大きな影響を与えるテーマになった。
宇宙で人が死ぬのは、個人レベルだが、宇宙ゴミで大勢の人が死ぬのは、誰も責任をとらないだろう。チェルノブイリがいい参考だ。国は金を出すかもしれないが、人命は戻ってこない。税金を集めて、開発してゴミを増やして、税金を払う国民を殺し減らしていく。

僕達は星で命をいただき生きて、自業自得のように社会のシステムに殺される日がくる。

そうした時に、あなたならどうする?
これは、確率では低い事故を想定したものだが、見えないものが、結局は人間を支配している事に何ら変わりはない。

多きすぎる世界でみる現実は、本当に脆さを実感できる。
人は馬鹿の壁をもつというのは、真実だなと、つくづく実感できる年齢になった。
やっぱりここは完全に開きなおって危険を理解しつつも人生を楽しむしかないようだ。

普通に平和に生きていられるだけで、幸せで奇跡で贅沢だと思う。
愚痴を文句を言わない我が家の犬が賢く見える。
それにくらべたら、何冊も本を読んで、悟れない私はやはり馬鹿なんだなぁと思うが、馬鹿さゆえにやっぱり本を読む。
せめて、危険を理解する 知能だけはもっていたい
せめてもの、あがきでしかないかもしれないが。
それでも漠然と恐いよりは、かなりましな気がするのかもしれない。
怖さとは知性の始まり。
知っても怖いが、知ってるから多少は安心できる。そこには平安はないが、実際に現実は平安というものがないのを理解するのも必要だと思う。
自分のネガティブさが自分の生きる大切さを知性を支えているなら、今はそれでよしと思いたい。

堂々と臆病風をふかして生きていく。(笑)
それで大丈夫な気がする。だいたい、私には星も落下物も進路を変えられる能力はないし、後何年生きるかもさして多い年数ではない。運不運などを言う占いもやたらと意味なく好き嫌いいう人も全く信じてないしね。

そういえば女性は安心安定を望む生き物だと、言っていた人がいたが、あれはスタンダードな意見なのだろうか?

私はこの不条理で未完成で不安定な矛盾に満ちた 世界が結構つい最近気に入っている。

人は不要だとゴミという。必要だと宝物だという。
単なる人の勝手な事情から名前をつける。

隕石が金で出来ていたら墜ちてほしいと人は言うだろう(笑)

実に、くだらない。

地球は金だらけになると、金は価値を失いゴミと言われるようになるだろう。
実に、くだらない。
本当に、くだらない。