20140722晴れ

今日は頼まれた書物の注文と仕事の関連本を注文。知識がないと身動きがとれないので、調べものをして一日過ごす。
昨日深夜に天文台の関係者が地震予知に対する新しい考え方をTVタックルで公開していた。以前は電波に対する事自然の電気的観測 をデーター化した地震予知に対して、意味が解らなく多分番組を見ても理解できなかっただろうことも、今では少しはなぜそういう考えに発展するか解るようになった。
日常に電気電波を使用しても、自然の電気にはあまり理解がないのが普通一般的な考えだと思う。
噛み砕いて説明する研究者とそれを反論する研究者の討論はどちらの考え方も納得がいくが、予知できるデーターが不安定な以上は、偶然の傾向でしかなくおみくじと一緒で予知とは言えないという地震予知不可能説をいう、研究者の意味も理解できた。大きく見る人の考え方と細部の観測結果にこだわる人の論理は、ひたすらすれ違うものだ。数字だともっとリアルに違ってくる。
それで、観測家は予知できるとは言ってないが、さも予知できるかのように誤解が生まれる。それで規則性がない意味不明のデーターではないかと誤解が誤解を生む。
そこに、なぜか一般的に「なぜこういう風にこの考え方を嫌うか」と言われるが、好き嫌いの問題ではないのが一般的には理解されない。そう、恋愛や情感など感情的理解などは、なんの解決にもならないからである。でも電気による自然現象も力学的考察も実は、双方とも仮説の段階なら正しいのだが、観測で明確な地震と関連したデーターが得られない以上は、公式発表できない。 自然現象はもっと複雑なものだし。
発想は大切でアイディアは大切だが、大部分は間違いばかりだ。だいたい視野が狭い時は考え方を間違えている場合が多い。だからといって、天文台の研究者の方の尊敬はなくならないもの。
データーを集めるだけでも、ものすごく大変な作業だから。討論している研究者の方を見ながら、未来に希望をもてる実感をして番組を見ていた。
それと同時に、よく日常に関係ない地震の分野にここまで理解できるようになった自分を嬉しく思えるようになった。
番組を見ると喧嘩みたいで嫌気がさすかもしれないが、私は昔からこういう討論のすえに、御互いの理解が深まると思うので見てとても久しぶりに楽しかった。

ただ問題はどちらの味方をするか?といえば、どちらの味方でもない考え方になるのです。
正しい答えなら、地震予知は今の時代には、できないのが正しい。

一つ言えるのは、世論に周囲に、なんだかんだ言われて、それでも研究しつづける人が行動では正しいのだと思っている。