20120821晴れ

かなり夏バテ気味?
何年ぶりかに人並みに実家へお盆と葬式で帰る。(ダブルがきつい)
物理の本を持っていき、たまたま母に相変わらず解らない本を読んでいると言われる。
難しすぎるらしい。 理解できないと、だんだんキチガイ扱いされるか、変わり者扱いされるのは、昔からである。どうも、物理や数学には生理的不快感が強いらしい。そういう母は一般的な日本人が好む推理小説が好きなのだが、本好きも分野が違うと理解されたいと言うのを会話の途中で諦めた。美術でも、母は理解を初めできなかったので苦しい育児であっただろうと…今更ながら、私を育てる苦労した過去を感謝している。
考えて見れば、部屋に落書きしたり、紙を見つけては絵を描きそればっかりしたがる陰気臭い少女がいて、他に全然関心がない子供がいたら、大変である。大人になり今も宇宙だの物理だの数学だの大学に行くわけでも、日常に関係ないのに、読んでいる娯楽が一般的ではないと、やはり単なる変わり者でしかないので。 母親とは大変なものだ。心配なのか、腹立つのか?また叱られるが、そこらへんは昔からなんにも解らない。親孝行とは
なかなか私には難しすぎるテーマだ。
田舎のおばあちゃんに宇宙を語るのはまだまだ未熟な自分であった。
まあ、それでも一日 久しぶりに人並みのお盆を迎えて、人並みの葬儀に参列して
ごく当たり前に世間話をして帰宅した。
物理や数学や美術に理解がない母親と、理解がありすぎて、これぐらいの理解で満足するな!!と教育ママのような主人とがいて、今の暮らしのほうが私には幸福なのだと主人に感謝した一日だった。少なくとも深夜ゴソゴソッと起きて玄関先に観察をしはじめても、文句は言わないし。。助かるとつくづく思う休日だった。
まあ母は私が何かに夢中になると、多分心配するのだろう。。一般の人が見たら やはり異常な感じを受ける夢中な状態とは 知らない人には異常な感じがするものだ。ほどほどが、だいたい通用しないのだから。
母には一生病気扱いを受けるだろうけれど、初めて人生で理解を諦めるという事を受け入れた一日であった。

そう考えると和田純夫は挑戦的な人だとプリンキピアを読みながら思っていた。
挑戦的な人の本はありがたい、無学なる自分にもなんとか理解を求める考えがとても嬉しい。私にとっては。

それにしても、故郷は美しい。光害がない…あんなに空が高い場所だったとは。
遥か昔の地球の空の風景を想像していた。今度は双眼鏡を持っていきたいと思っている。