問題があり
答えがある。

現象があり
事実がある。

その答えに…驚く

人は知れば知るほど
…奥が深い。

心理学を知ると
時々…怖い時がある。
戦いは…もしかしたら毎日あるのかもしれない。

結局は、修行かぁ。

今日私はある部分において、いつもと違い切り離された世界にいる。

知る事で
なんとか、変えていけるかもしれない事を…。

知ってる。。
その差は
その時気がつくか
気がつかないかだけ。
気がつけば
難を逃れる。
気がつなかくて
失敗すれば
後悔は大きい。
沢山気がつく事が大事になる。

川に流れる葉っぱになるか
自分の意思で舵をとるかは
大切だ。

今夜は星を見ながら 天文や宇宙を知り
大切な気づきがあった。
大きな思い込みを
失っても…

偉大な天に神に感謝しようと思う。
そこから道は開くのかもしれないし。
先はわからないけど…。
一言

なんてことに
なってしまったのだろう!!

と、叫びたい心境

蛙は井戸から出たら 身体の色が変わるが…
私が自分の思い込みを意図的にポイと捨てたら、どうなるんだろうか???

時々コミュニケーションをしていて…
理解しあえない事実を知る。前提として理解はしあえない事を完全に知りながら、また同じ理解をしあえない事実を知る、繰り返し何度も…
初めに言葉があった言葉は神とともにあった聖書の中身が真実であったとすれば、言葉で理解しあえない事実を知りながら言葉を交わす行為とは?なんなんだろうか? 本当にあらゆる部分を削ぎとり、核となる自我が本当は、あるのだろうか?
どんどん、もしかしたらないとすると?どうなるんだろうか?
なんにもないのに地球で増殖していく人間ってなんだろう?

仮に私の自我がはっきり明確にあるとすれば潜在意識の断片に残る星への強い思いはなんだろう?
記憶にないこの星の強い存在はいつ?どこで?生まれたのだろうか?
人生を振り返って記憶を呼び戻しても、ない。ないのにあるとはおかしい。
たわいもない日常の社会的心理的操作という愚行から得た感動ではない、この種は何処から生まれたのだろうか?
本能からか?

私は意味のないシンボリックなImageをもたないはずなのに
まるで自分の生まれた星を忘れたような強い悲しみが襲う。

いずれにしても
今それが私の原動力になっているのは事実だ。
漠然とした、キーワードが暴かれた時に
本当の私が覚醒するのだろうか?
ずっと気になり
ずっと執着している。
全てを捨てて…
なぜこの私に一つの星のImageがこうして残るのだろう?

いつか解るのかなぁ?第三番目の世界が開く時、私はようやく心からホッと安心できる気がする。

その時会話のコミュニケーションの不完全さを知りつつ、微笑むことができるかもしれない。

私は私すら知らないのに生きている。

必死に行動して
ガンガンやると感動する!
もう一度、私のImageにある星の存在を思い出したい。

このまま…忘れてしまうのは…とても悲しすぎる。。