20120410晴れ

今日は休み

やりたいこと数学者のDVDを見ていた
何故ここまで執着するか?を考えていた。見る事で、自分の中にある、混乱がどんどんなくなる事に気がつく。
それは不思議なほど、理解が今までよりスピードアップしたり、計算上の事が早くなる一瞬があるからだけではない。多面的解釈とは先ずは勉強からだといつも思う。
それに思考の仕方がガラリと変わる。
多分今の私に必要な内容で不足しているからだろう。
美術では
ハレとケという美
と、数学的美がある

どちらも美であり
通常なら自然体ならどちらも
美しい世界で
美しいと理解できるのだ。

だが中には理解できない人もいる。
理解できないのではなく
理解するきがないだけで
人間は理解しようと
思えば理解できるのだが。
そこが、単なる個人の自由であるところが美術のよいところだと思う。
本と同じで強制をしない。
見た対象を二次元だろうが三次元だろうが、見た主観的感じかたで良いので
正解など本当はない。
色彩感覚も鍛えると
変わる。
単に個人の価値観で
脳は良いと認識する為には見るという繰り返しが必要になる
それは身体がもつ経験によって変わる。 ただそれだけなのだが、それだけがかなり差が出てしまう。
空想や想像力とは、日常に意識しないと
育たない忘れやすい力だと思う。

過去であろうが
未来であろうが
数や美は
古くならない。

いつも新鮮で
いつも素晴らしい存在だと思う。

日本人は色彩の感覚においては優秀な能力がある。
日本人に生まれて良かったのは繊細な美やハレとケという対象の美が日常にたわいもなく存在したからだろう。
だいたい書の文字を美しいと認識できない人が英語の文字の美しい世界を認識できると思えない。両方とも、文字なんだから。そこらへんに歪んだ考えかたがある人は単に解らないだけなので、多分好き嫌いだけなんだと思う。嫌いは意外に知ると好きになりやすいものだ。
数学の世界の美も、また美しい。

桜の花の一つに素晴らしい美の方程式がある。
それが無意識に人の中で数学の美をデサインに形状を変えて見せているだけであり、数の美しい世界は本来は日常に沢山あって人を魅了しているだけだから。

それを直感的に全ての人が美しいと思うのは、理解できる不思議はとても幸せな事だなぁと思う。
デサインも空間も分解してみると
なかなか楽しく愉快なことばかりだ。

数学をやりながら、そうとう致命的に解らない事だらけで回り道をしなくてはいけない自分がいるのだが、それでも、多分やらないよりやったほうがマシなのでやる。

介護をやりおわった今が頂上なら、やらなかったとした時の自分は想像すると尊敬すらできない。
それと同じかもしれない。
山があれば登るし
美があれば惹かれるだろうし、問題があれば解きたい。
(笑)
いつまでも、子供みたいで最悪な自分がいる。
いろいろと
こだわらないほうが
とても楽しいねぇ。
やっぱり
楽しいのがいい。。
失敗したり回り道をしたりしながら旅をするのはいい。
理解できると信じたい。

沢山の知性をもつ偉人に感謝をしている。
私には必要な大切な事を学ぶきっかけになっている。

よい時代に生まれたと、つくづく実感します。
無知で生まれたから良かったのかも、しれませんね(笑)

天才にはなれないが
天才の考えを知る努力はできるから。それが凡人の良いところだと思います。

そして今年は
桜をやっぱり綺麗だとシンプルに言うと
思います。 (笑)
実は、本当は統合失調症を知りたくて調べていたら天才に数学者に出逢うという旅だったので、変な旅はこれからも続きます。(笑)
ちなみに犬は言語でオテとオカワリより素数だと理解が早いのは、なぜだろうか???
不思議だ。。

興味深い内容は人生を豊かにしてくれます。

今日は朝から
ぼーっと身体が重くなかった。こういうのは何年ぶりだろうか?
数学のMagicかも?

そういえば、老人の認知症が知識の知りたい始まりでした。
最悪な状況では冷静な観察があって 始めて成立するサポート行為でした。心理学はたまたま偶然に読んだ本からで、知性は力だと始めて実感しました。

そう考えると何が不幸で何が幸福なのか(笑)
人生は解らないものです。多分直感でこれからの私には数学が必要になる何かがあるのかもしれないし。無意味かもしれませんが無駄な事はないと思います。

数学者にある人と共通した感情を初めて見ました。

何かを欲しいとか何かを得る為に、学んでいる訳ではない事を。