20120321雪

心理学の分野も、とても面白いなぁ。
視覚錯覚とかも、、

実に十年前
1989年文芸春秋から出版された 津本 陽の「巨人伝」、ずばり南方熊楠の長編の伝記小説。
この人に好奇心をくすぐられたのが、自分の知識欲求を満たす衝動の始まりだったなぁ〜

それで博物館へ行きたいまま今日まできた。
それが十年たって、そのわりに賢くなってない ONZ
いろいろ本を読んできたんだけど…
まあ、それはいいとしても考えたらそれがいつの間にか、興味が宇宙になってしまったんだなぁ。。
実は驚きの初めは、科学者の方々や理系の人は恐怖感より好奇心が強いというあの独特の性格の驚きからだった。それは精神にあまり負荷をかけないようになっている事実は驚愕を覚えた。それは短所でも長所でもあるんだけど。
仕事は今日は、コンテナの在庫を整理しながら、検品し混紡して来年度にスムーズに業務が出来るようにした。結局休むの忘れてた(笑)
もう集中すると止まらないのは自分の性格だからもう諦める事にしよう。。
仕事に集中できないよりいいしねぇ。

私の読書の力は多分昔から親に馬鹿と罵られてきたコンプレックスが初めだと思う。
でも、同時に私は絵画にも漠然と知を見いだしていた。
数学的美意識は追究できないまま学生時代を終わってしまい やっぱり、この年齢になってちょびっとづつ理解できるたびになんだろう?とても安心する。理解できる喜びは日常を明るくする。
数学的美意識はとても奥が深いだろうけれど、きっといつか老人になったら、良い人生だったと思える経験になると思う。鎮痛剤を飲みながらの身体の痛みも後二週間で和らぐらしい。身体と相談しながら学んでいきたい。
今の私には昔数学が嫌いだった小学生の思い出は嘘のようだ。そういう意味でアインシュタインは先生として、とても凄い人なんだと…改めて実感した。
凡人の私には、とても必要な人だと思う。
そういった意味で、ユングアインシュタインも私の人生を変えてくれた。ユングに興味をもったのは言葉を深く伝える為の老人介護のコミニュケーションに必要なスキルや日常で困った状況になった時、私は知に答えを見いだしてきた。探して探して自分の力で解決策を考えていた。そう考えたら不幸は幸福になる為に必要な条件かもしれない。
あるドラマで昔飢えた子供の頃が体験としてあったから、美食家になったとあった。
悲しいと人はよく、物をやたらと購入するらしい?

私は確かに「知恵」にいつまでも悲しいのかも、しれませんね〜。本ばっかり購入しています(笑)
不幸な記憶とは良い意味で不思議な経験ですね。今ではいつの間にか楽しくなりましたが。

泣いたカラスがもう笑ったとありますが、いつまでもやっぱり私は子供です。(笑)
男性っぽいと思いながら、八年の介護生活をできたのは…やはり女性の気質だからこそですね。
親に与えられた健康的な身体に感謝しています。

まあ悲しいのも楽しいのも、結局幸せに繋がるのでいいか(笑)

今日は大気の気流がゆらゆらながら、新しい双眼鏡ケンコーCERESを使用、やっぱりこっちは透明度が全然違う少し扱いに慣れてきた!でも星や月に合わせるのはsizeが小さいせいか、まだサッとはいかない〜。でもイーグルよりやっぱりいいかもー。ふふ
と言う訳でなぜか、新しい双眼鏡練習の一日でした。