つくづく実感した

文章の考え方は
相手の脳構造で出来てる事しか書けない事を。
養さんは養さんしか書けない、表現だった。
林檎一つのイメージは実は膨大にあるが
故に
林檎の単一イメージは団体共鳴しないと単一の林檎にならないという現象。

個人の個性の強化学習→個性のカオス→団体の認識の同一性→団体の共鳴行動→無個性→論理の破綻

故に無個性団体でも個性と認識されるのは、個性=能力が高いと社会的認知があった場合だけ。それ以外は普通か異常者か変人。
つまり凡庸なる個性は認識されない。
日本ではイギリスのような事は、生きれない、つまりできないという事です。多少変人でも社会的に自立生活し法律を守れば、良いと思うがなぁ。
まあ、一番現代人に欠落した曖昧な気持ちに対して認識する能力の酷さは、著しく、幼児期の脳内のストーリーがなぜか前世代より破壊されている事から始まるらしい。日本人の新しい世代はどこへ向かっているんだろうか?この幼児探究はかなり怖いな。
養さんは人に法律の壁ギリギリに生きないとという乱暴でかなり無責任な人だからなぁ。そこは影響されたくない。しかし内容はとても面白かったです。
やっぱり学者さんでした。学者さんは言動が破天荒な人が結構います。

それにしても、心情的共感能力を鍛えるって考えてたなんて、意外だった。現代は普通の事ができない人が増えたんだなぁ。なんだろう?なんで思考停止するんだろうか? さっぱり解らない。
想像力の欠如か?

ベストセラー一位に選ばれた本だか、やっぱり一次方程式が一つ。
これは、狙って売るために必須条件だから、そこら辺は抑えて本を書いたのだろうな… 。
沢山理系内容にすると、文系は理解できないし、本は売れなくなるから。
こっちは一次方程式の部分が一番面白いしそれを起点に思考できるので、ネタ一つで残念ですね。
養老氏の講義を寝て過ごすなんて、今は本当に学生は勉強しないんだなぁ…汗 驚く時代になった。