織田信長

織田信長の番組をしていた。比叡山焼き討ちのシーンに、時代劇を久しぶりに見ていると、たまには良いなぁと今まで感じた事のない想いが芽生えた。歴史なんて興味があまりなかったのに、宗教弾圧をした信長が実際は、戦では子供と女性は安全な場所に逃がしていたらしい。残忍な歴史しか知らなかったので、そうした事が真実なら、勘違いは歴史でも現実でも多いのかもしれない。
平凡だが接客業を長年していると、会話の難しさをつくづく実感する。話し手と受け手では、まるっきり意味が違ってしまう時がある。経験や年代でも言葉の表現が違うので、なかなか難しいがかといって、ただ考えずに喋る訳にはいかない。
歴史でも、脅威だと思われる戦の為と農民を逃がす食料を与えるなどという思いやりある行動が思いもつかなかったように。事実は小説より奇なりとは、本当かもしれない。
勿論死者が出たのは事実だし、殺さなければ罪はないなら、何もなさない農民が一番偉くなる。罪がないからだ。
例えば動物達は、豚や牛や鳥や魚は食料として人間に毎日食べられているが、人間を怨んだりするだろうか?命が命を生かしている地球で、死とは生命の繋がりでしかない。なら私達人間は宗教的に命を考えるとそんなに立派な存在であるか?と言えば実は矛盾ばかりだろう。だから農民は偉いとか、武将は偉いとか、そうではなくて、生きてゆく中でいつの間にかそうした人生を生きざるおえなかったのではないだろうか?
地球では、それが自然な事でそこに理屈を持ち込んだ人間だけが不自然に存在しているのだろうか?