介護と自殺

ニュースで介護で追い込まれ自殺や無理心中の事件が相次いでいる。年々増加傾向にあるらしい。一人に三人の介護者が必要なのに現実は家族で負担を抱える必要があり、介護する側にも退職を余儀なくなるほどの、追い込まれた酷い現実がある。考えてみると解るが病気に詳しくない家族が、初めて接する認知症患者は、かなり手強い。看護婦や介護職員ですら手をやく。病と思える冷静な精神分析能力を必要とする。一番大切なのは体力だが、長年だと疲労も限界がくる。金銭的ゆとりがあれば良いが、なければ数年で暮らしは破綻する。病院も慈善事業ではないために、ベットの空きはない。医療行為にしか使えない為に、やむざる終えず退院を余儀なくされる。無論日本は資本主義だから、お金がないと暮らしは破綻する、市役所も人が足りない、生活保護も簡単に申請は出来ない。そうして、困窮した家族が死を選びやすくする。一番悲惨な状況では認知症の本人がうつ病になった場合は、毎日のように死を懇願するようになるので疲労した家族が引きずられて、自殺に話題が行きやすくな
る。それをあえて精神異
常だと理解できればブレーキをかけて精神薬で対応が出来るが、それをスキルにもたない場合メンタルコントロールが出来なくなる。暗示をかけられたように絶望の方向に思考がいきやすくなり、生きるパワーをなくしていく。通常は普通の人なら、状況で嫌気をさし言動で腹を立てて、その家族に怒るが、患者を怒っても魔のサイクルに入るだけで現実は改善されない。大切なのは解決案だ
つまり、とても高度な知識と忍耐強さと体力を要求される。経験で解らない人には、単に他人事だろうが、嫌でも人はいつか老人になる。普通なら良い人生だったと思える老後になるばずが、それすらかなわなくなる。
それだけに、これからはメンタルの健全さ正常さが、必須条件になる時代はないとおもう。
生きるという普通の事がとてもハードルが高い時代がきている。単に昔なら親孝行だった程度をできる普通の生活が今は難しくなっている。気がつかない人は多分全然危機感はもたないだろうが、なるべくなら早くから気がついてほしい。解決策はある事を前提に能動的に動く事の大切さを知らされる。簡単に絶望してはいけない。テレビでシリア難民にパンを配る一般の女性がいたのをニュースで見た時に、私ならそうした気づかいが出来るだろうか?と考えてしまった。昔から日本人で国がある事の幸せや暮らせている幸せを当たり前に考えている自分には、なぜかとても恥ずかしくなり、もっと環境に対して恵まれているという感謝をしていきたいと、思ったニュースだった。
もし、仮に自分だったらパンを買う優しさが有るだろうか?どうするか?を考えてみる事も近頃は大切だと思う。
国は若い世代の夫婦に育児の給付金をやめる方向に動き出したらしい。若いんだから働けば大丈夫といい、老人予備軍に3万円給付するらしい。実際には若い世代より老人予備軍が老人を介護している世帯は増えた。 働く限界がある世代に給付金をつける方向に政治が動き出した事は、実際に困窮した熟年層が増えているという事かもしれない。事実、教育費より介護費は年間計算すると費用が実際にはものすごく高いのだ、それが現実である事も含めてだろうか?とにかくこれからは若い世代には厳しい現実が待っている。年金支払いも若い世代は支払う人が少ないらしいが、それが関係しているのか?子育ての給付金をつけても、出生率が上がらないので対策法として止めざるおえなかったのだろうか?
いろんな解らない事は多いなぁ。