20150306晴れ

寒い毎日だが、晴れ間ものぞく三月になった。
スバルは近頃だんだん春の風の匂いを感じながら、散歩をものすごく楽しんでいる。
犬にしか、理解できない事が毎日沢山あるらしい。田畑に狸やムジナなど深夜には人の肉眼では全然見えない野生の動物が徘徊しているが、丸で鼻先で解るのか抜群のアンテナを持っていて、なかなかそうした能力がない私は羨ましいといつも思う。

今日は昔私が大変だった時に力になって下さった恩人の方が自宅に来てくださって、聖衣という映画を貸して下さった。古い映画で、舞台セットがやっぱり簡単に造られていて、演劇のようだ。それでも衣裳や演技は、ものすごく力が入っていた。ローマの歴史はざっとしか知らないので、それも宗教的な内容だと、解釈もかなり違う。ローマ帝国をメインにすると内容は全然違うものになる。
昔のアメリカの映画にも、日本兵やドイツ兵を攻撃したりするシーンが出てくるが、そうした国々の事情が映画だと色々見えてくる。聖衣はイエス キリストの晩年を映画化した内容だけど、本当は人のうちなる良心という存在を改めて考えさせるきっかけの映画だと思う。
ここでいう良心とは、本人も気がつかないもっと深い心の奥にある存在を意味する。それに対する 絶対的な信頼でもある。
心に響く映画だ。
映画を見ながら、
人っていいな。。
って改めて思えた。

宗教だけを題材には、していない。人は本来殺戮を望まない、とくに罪のないものに刃を向けるのは痛みが伴う。正常なら精神状態ならば出来ないのが殺人である。

良心がある事を、忘れて一時的な攻撃的行動から人を殺めると、後にまつのは後悔しかない。それも徐々に自らの精神を蝕みはじめる。

そうした重い題材を映画にする事は、善悪をちゃんと判断できるかということが大切なのだ。

勉強以上に大切なのが、道徳心で それが判断出来ないとなると、かなり人として危ない。
人に叱られるからしないのではなく、自分が罪だと自覚し理解出来るからしないのが人として当たり前の理性というものだ。
何事にも良心があってこそ、人間と言えるのである。
良心が根底にあるからこそ、人は強くなれる。我慢したり、努力したり、理不尽な時も、耐えたりできる。
そうした事を、ちゃんと理解してほしいが為に映画をつくっていることが 何よりも、素晴らしいと思う。