ムダイ 6

憧れの京都生活は、六畳のアパートからはじまった。お風呂はないが洗濯場所とトイレがついた小さなアパートだった。
持ち物と言えば、カラーボックスに衣裳ケース棚 安物のレコードプレイヤーだけ、小さな冷蔵庫があり台所のスペースもかろうじてあった。今から思えば、荷物ぐらいの家具しかなかった。

学校は京大の近くで民家の間にある小さな規模の学校で、その当時には私はテスト勉強などほとんどしなかったが、デッサンを見せたら、おー!!と言われて、かなりレベルが高いわね。と面接で言われたのを覚えている。久しぶりに人に見せたので、その面接官の方の声に、こちらが驚いてしまった。実際にそこら辺は考えて描いてなかった。それぐらい評価される時がなかった。かなり長い間独学だったからだと思う。そういえばあまり人にも見せなかった。
無事に入学しカリキュラムは大変沢山あり、美術史建築グラフィック油絵立体創作染物写真 あらゆる講義や製作をした。基礎を学び二年生になると自分が行きたい科目を選び、またそのテストと実技をするというハードスケジュールだった。何名かが1年で消えた。この人なんでこの学校選んだのだろう的な人は、ほとんどいなくなった。不思議なもので、なぜか京都に来て誉めていただける時は怒りが出なかった。自然に理解されている鋭い視線があった。ほとんど刃物のような切れ味がある視線が、ものすごく心地好かった。実際に私は見せる時はケロッと淡々としていたが、結構描いている時は没入するタイプで、苦労はしていた。あまりそうした事を、見せるのをためらう事が多く、それなのに理解されているような不思議な先生だった。凛とした存在感がある方々だった。美術の生徒は皆がものすごく個性的で精力的な人が、多くそれも良かった。私はそこでは普通に受け入れられて自然に行動できるようになった。飾らず自然体で生きれた人生で初めての幸せな体験になる。。

一番嬉しかったのは
「一生描きつづけるのよ」と言われた言葉だった。 それは、大切な宝物となった。

その先生がとても好きで、グラフィックとテキスタイルの講義を二つ受けていい時もあった。製作には参加できなかったが、ものすごく欲張りに講義を受けた。コラージュの勉強も、とても楽しかった。今ではパソコンで簡単にできるが、その当時は切り貼りだった。歴史もテーマを選んで沢山本を読んだが、内容は二次元と三次元の表現が古典美術の歴史で変貌する表現と、影響を書いた美術の内容だった気がする。世界は美術も衣服も地球規模で大きな同じ変化をしていた。その謎の文化影響のカケラに似た共通の現象と似た内容で、今から思えば、見えないルールを見つけた喜びが、思考が、とても物理的だった。採点が良かったので講師の方にも高評価だった。だけどかなり美術史は分厚い本で、何冊もあるので読むだけでも、かなり大変だったのを記憶している。

生活費をバイトで稼ぎ、睡眠不足になりながら講義を受けた、かなりキツかったが、なんとか卒業した。睡眠不足と働くのは高校からセットになってしまい、キツいのも当たり前になっていった。

今頃になって感謝しているのは、ずっと何十年もその当時の友人 知人と連絡を取り合い、中には賢い京大の友人もいて読書を続けられた事だ。友人はものすごい量の本を平気で読んでいた。そうした長所を尊敬していた。それで共感からこの年齢まで読めたのかもしれない。本当に存在に感謝している。
つまづいた時ほど、友人知人を思い出すと努力できた。きっと…みんな頑張っているんだと信じられた。
本当に素敵な魅力的な友人が多かった。
そして、その幸せが青春の一番輝く時期に私には初めて経験する喜びの毎日だった。
本音ついていけないほどに相手が賢いと比較してコンプレックスが出そうだが、それ以上にものすごく努力を重ねている姿を見ていて、そこから学ぶしか出来ない気持ちがいつもあった。
友人を敬愛できる事は、誉められるのは、自分の事のように喜びになった。
四年の月日があっという間でバブルだった為に、苦学生に地域の方々は優しかった。有名大学だと将来の為に、学生を支援していた方々が多かった。将来の投資に人脈の為になっていた。それで私はバイトでも支援行動で可愛がられた。実際に絵の具が高いので湯水のようにお金が絵の具になってしまった。 それでも、バイト代は高いほうでとても助かっていた。有名大学ではなかったが、かなり有名な画家の方が在籍していたりしたためか周囲は協力的だった。
食べるものもないぐらいの時さえあったがバイトでつなぐ日々を暮らしてしのいだ。もしかしたら心底貧乏を体験した時期でもあったが、なぜか幸せだったのは、将来に夢があったからだと思う。
その貧しい体験は、今の私の暮らしが豊かになった感謝に変わっていった。金持ちではないが、貧しい訳でもない。若いうちは苦労はしたほうが良いと昔からいうが、悲惨な体験を経験すると本当に日頃の当たり前な暮らしがありがたいと素直に思える。いろんな意味で勉強になった学生時代の貴重な体験だった。