ムダイ 3

幼少の頃は、こどもたちは なんだか大人に比べると元気で生き生きしているかのように、思えるだろう。知り合いにたずねても、そういう。もう全て子供の頃を忘れた大人はそういう。。だが実際はかなり違う。子供は結構大人をよく観察している、結構悩んでいる。大人の重荷にならないように、気を配っている。時に生死を考え深く悩んでいる。時に大人以上に苦しんでいる。そういう時がある。まだ未熟な精神で、あらゆる不安と戦っている。なんとか大人になる為に、親に一人の人格者として認めてもらおうと思いながら、必死に大人の顔色を見て生きている。時に子供である為に言えない秘密をもち始める。それが四年生頃で、まだ現実と空想を行き来するように情緒は安定していないが。私にはとても楽しくとても人生が辛い時期が四年生だった。

時代の流れとともに戦争を知らない私の時代になると、もう食事に困らず 日々は安定していた。
そう、先人より豊かな暮らしの経験により我儘世代なのだ。親にすれば手におえない我儘ぶりを発揮する。 たまたま私は近所では老人に好かれた、それは、たまたま戦争話を聞くきっかけになった。父からも聞く、親戚からも、知り合いにいたタバコ屋のおじさん、みんなそれぞれの戦争体験があった。
戦争を知らない、その当時小さな小学生の女の子になぜ詳しく話をしてくれたかは、なせか解らない。それはとてもそれぞれに深く長い体験話だった。兵隊になった頃、爆弾製造経験、潜水艦の話、食糧調達の話、沢山の死。終戦の後の苦労。
大人のおじさん達は、いつもなぜか私が綺麗なものに興味があったので、エロ本をくれた。当時はエロ本を見たことがなかったが、もらって真似をしてスケッチブックに描いて、母に見つかり叱られた。ルノアールを見て育った私には、何が悪いか本音は理解できなかったが、多分叱られてしまうことは、想像がついたので、かくしていたのである。要するに、近所でおじさんは、小さな少女にでも、ヌードを見せて、結構それは綺麗に撮影されていたから、私は共感しただけだが、今思い出しても美術的レベルは高く、貴重なものに見えた。でも、世の中に出ると 単なるエロ本で終わってしまう哀しい事実だけがあり、私が綺麗と夢中になって見ていると、やっぱり綺麗だよなーと、真面目に納得しているおじさんがいた。私が欲しいと言うと、ダメと言われた。そして
そういう事は、もう母には言わなくなっていた。
母は、私と違い露骨なエロティズムに嫌悪している、大和撫子だった。一方こちらは、ダ、ビンチ的に筋肉や体形を見る表現として見ているので、結果知性と美しさが混在していれば、なんであろうが良い作品なのである。とにかく小さな頃は、まだエロティズムには理解が深くないがゆえに 初めて見るヌードは愉しかった。人間とは、こうした身体なのだという衝撃的な経験だった。でもエロティズムには興味をもてずに、印象派に惹かれていく。
もう、この頃には仏や神に対しての漠然とした、闇の恐怖は確実にあった。そして、その恐怖は肥大していく。。
そういう年頃だった。
とても良い時代だったと思う、特別大人達は小さな少女の私にも、自然体で会話をしてくれた。
たとえ残虐な戦争体験でも、あまり怖くなく話をしてくれた。戦争で死ななかった後悔も、終戦で苦労をした話も、ひたすら現実だった。だがその苦労を私は体感していないので、ただ黙って聞くしかできなかったが、生き延びた惨めさに耐えながら話す大人達の戦争体験は逆に頼もしく強くみえた。
凄い!かっこいいねー!
その言葉に少し驚いた笑いをして、こういった。
「お前は汚い世界は知らなくていいと。これからも、ずっと知らなくていいんだ」と…勝手に決めつけて私を見て頭を撫でて笑った。
私はそしていつもその言葉でとても不満だった。

(こうして文章にしていくと、まだまだ沢山あった昔を書ききれない事に気がつく。 改めてある昔の記憶を、思い出してみた時に映像ではっきり覚えているのだが、個人名は勿論書けないので、大変だ。)

しばらくして、話を終わるとおじさんは、立ち上がりなぜか爽やかな顔をして空を見あげていた。
私が初めて戦争を知るきっかけになった。