ムダイ 1

とにかく小さな頃は、山に秘密の基地をつくり、海ではちゃんと上級生が小さな子供たちを自然とよくめんどう見てくれた。
女の子とは笹を舟にして花をのせて、河に流しては追いかけた。クローバーの花を編んで花輪をつくり、長いのを編んで縄跳びをした。人形にも慣れてきた。男の子とは、蛙や蛇に爆竹をさして爆発させて遊んだ。竹で鉄砲を作りうちあいをした。刀をもち叩きあい、プラモデルを壊し(笑)やることほとんどが、戦争ごっこと生き物を捕まえるか殺すかである。

人形嫌いも、なぜかある日人形を壊してから怖くなくなったのだ。むしろ
可愛そうになり、余計に好きになっていった。
母にやたらと人形を買ってとせがんだ、理由はただ一つ空想劇を人形でつくり楽しむようになったからだった。
現実には、かなわない夢を人形劇にしてストーリーをつくる、そんな事をして楽しめるようになった。その半面怖い鼠の玩具の不敵な笑みを忘れた事がなかった。だから仏壇には、神的な感覚より
恐怖の箱みたいに怖いものでしかなかった。
ましてや、人を救うなどという存在ではなかった。小さな時から、おおよそ神様なんて信じてない現実主義だった、科学系の本にはリニアカーのごとき最新式の車が未来は走り、火星移住が大人になれば叶えられる未来を
描き子供たちはみんな輝かしい未来を本気で信じていた。だから天国も極楽浄土も、絶対にないと信じていた。しかし、反対に母は、熱心な人でちゃんとお墓参りや仏壇の世話を欠かさない女性で、話しはどんどん対立していく。それ以上に深刻になったのは、私が神秘に目覚めた時には、そこにみた神は見慣れない外国の神様であった事がもっと母を悩ませた。
今ではなんだか平等じゃないきがして、聖書も仏教の本も読むし、どちらもすばらしいが、神秘とは理屈を超えたところにあり、理解しやすさという意味では、双方より宇宙教とでもいったほうが わかりやすいのかもしれない。簡単にいうと、人形(ヒトガタ)を拝みたくないのかもしれない。
もっというと、高い意識生命体みたいに、energyがある何かとしか思えなくなっていく。
人間は地球を創れないから、ヒトガタを拝めないのだ。とにかく小さな頃は、夢を未来を信じていた、確たる真実味などない未来予想の話が宗教より勝っていた。リカちゃんでは海外旅行が当たり前になって、裕福な家はエレクトーンかピアノがあった。生まれた自宅には風呂さえなかったし銭湯だったが、小学校頃にはもう自分の部屋を与えてもらっていた。豊かさが幸せだと誰もが信じていたし、暮らしは時代の流れとともにどんどん便利になっていった。
私の家族は今では昔ほど本を読まなくなっていったようだが、私はいまだに本がないと落ち着かない性格になった。それぐらい本が沢山あり漫画が沢山あった家だった。
今考えたら、単なる流行りの本ばかりだったが、本が唯一の精神安定剤のようになっていった。
元から劣等感が強くそれが幸いしてか好奇心からか読書は趣味になっていった。
家を購入し、テレビ 電話車などが普及して、父はもっと沢山の利益の為に船にのり、兄もまた学力があるのに、若く漁師になった。母は家事をしながら内職をして、習い事すらできる豊かな暮らしになっていった。近所では真面目な家と言われたりした。その家族の中で一人とても毛色が違う変わった私がいた。
小学四年生になると、自己主張は、ますます激しくなっていった。それと同時に孤独も増えていく年代だった。とにかく周りと趣味も好奇心も違いすぎて、甘える依存する存在は犬になってしまった。まだ昔は野犬が多く徘徊していたので、野犬のそばにいって遊んだりした。母は心配をしなかった、私が犬と動物には
相性が良いのと、母も動物が好きだったからである。野犬は最高数20匹の集団で暮らしていた。
近所で一番広い保育園の公園そばに集合していた。その中に入り、一緒に遊んだりした。後で叱られたが、大人達の想像と違い犬たちはとても優しかった。彼らにはキチンとルールがあり、私も座る位置を間違えないようにして、気を配っていた。とても開放的で楽しい出来事だった。
その中では自分も犬も単に命がある、生きているそれだけの存在になれた。犬たちは、私を見て優しい顔をしていた時に、大人達がいったい何を恐れているか解らなくなっていった。姉は犬に噛まれたらしく、とても怖がっていた。対極的に私はどんどん大型犬を見つけたりして巨大化した犬をペットにした家に入り込み、お腹に入ったり口を手で開けて覗いたりした。全てが人間と違うのが愉しかった。

集団の犬たちは、遊びにいっても、突然いなくなっていた。
寂しさを噛みしめながら、犬はさよならを言わない事を子供ながらに知る。。
学校では先生が野犬の危険性を話していた、いかにも噛んで狂暴さを説明して注意ばかりしたが、その頃には彼らは、もう違う場所に去っていき、
犬が結構賢い事をしる。
助かり逃げのびた犬達にものすごく安心して先生がいう意味は、ほとんどが理解できないまま、終わった。そんな感じで、大人達とは、ますます距離をおいてしまうようになった。
何かしらの存在を悪くいうたびに、本当だろうか?と疑うようになった四年生の春だった。
昔は大人は忙しくて上級生が子供達を世話をしたので、子供達だけの世界は守られていた時代だった。現代では大人がそばにいないといけない危険な時代になってしまった。それぐらい子供達には
自由がない難しい時代。
教育者として立派な人が、いろいろアドバイスしたりしている番組を観ると、今の子供達は情報がありすぎて大変だと思ったりする。
現代の子供達には、当たり前の事かもしれないが