ゆとり

日々ゆとりがあるというのは、とても幸せだとあらためて思う。
贅沢な事だ。勉強できる事も、安心し安全に睡眠できる事も。とても基本的な生活の中での事だが、それが満たされているという幸せに日々感謝し安堵する。
人によっては、悲惨な不幸な毎日だから、ちょっとした事が幸せに感じるのだと言う。そうだろうか? 幸せとは本人が決定する事で他人が決める事ではない。
例えば私などは、異常に熱中して表現したり、宇宙の事をずっと考えているとか夢中な時間が幸せだったりする。その間は誰とも会話もせず一人なのだが、とても幸せにみたされる。それを多分人は、孤独で寂しい人と言うだろうし、無口な人と言うだろう。よくそういう言われ方をたびたびされてきた。

つい最近考えるのは
「友達とは、適度に連絡を取り合い語り合う必要性があるのだろうか???」である

懐かしいと言われると違和感を感じる。
ほとんど懐かしいという事を考えてきていない人生で懐かしいという感覚は、皆無。
懐かしいから逢いたいと思った事がない。

時間がたち、昔に戻るなんてあり得ないではないか?
あの頃に戻ってとよく言うが現実には不可能だ。

これからの為に改めてあう必要性があれば、あう意味が必ずあるから理解できる。

昔のほうが良かったと私に言う時は、昔の私にしか私には、ようがないのだなと思っている。
だから、昔じゃない今の私には無関係の話だ。

なんにも変わらないね。と言われると、多分まだ理性での理解には、ほど遠い。 多分それは妄想である。

ゆとりがあると、理性もはたらく。読みたい本も読める、ありがたい毎日だなぁと思っています。

それに昔には、戻りたくない。今より確実にアホだ、恐ろしい!!絶望的ではないか。
だからドラえもんの苦悩なら理解できるぞ。
あいつはだから身体全体が絶望で青いのだ。
だからドラえもんがなんとなく嫌いだ。
(あれ???なにをしているのだ私は?)
ドラえもんの口から宇宙が見えたら、考えなおしてもいいが〜