眼鏡

ゼログラムという軽量眼鏡にしたのだが、これかなりフィット感が素晴らしい!!スポーツしても大丈夫っぽい。。
それ以上に凄いのが
東レのクリーニングクロス「トレシー」
カメラレンズ用も販売しているらしい…。アートガラスの皮脂汚れや細菌を拭き取るには物凄い威力!!驚いた。
やっぱり東レの技術は凄いなぁ。
常連のグラスアートを沢山持つ方にプレゼントしたいぐらいの性能だ。粗品に用意しようかな。

と言っても
お目当てのアートガラスは入荷しないし、品薄で商品単価も必然的に上がってしまうのは仕方ないのだろうか?
子供の玩具ぐらい安くしたい今日この頃
昨日読んだなかに大学生の自殺が多いと読んだ、私は苦学生だったが死にたいとは思わなかったし…
やはり昭和生まれは「のんきもの」と言うのが世の中の常識なのだろうか?私は比較的危機感が強いほうだと思うけど。
確かに、昭和時代の人で昔、結構良い生活をしてきた人は今の停滞した社会状況がまだこれから良くなると信じているのかもしれないし、昔は良かったと思うかもしれない。。でも私はバブル時期は極貧で自力で生きていた苦学生で、ろくな思い出はない時代だった。だから過去にあまり良い体験もないし、貧しさを体験してきたせいか今は一番豊かに感じている。だからかもしれないが、そんなに元からのんきではないし、未来に景気が良くなるなんて考えてもいないけど、景気に左右されるような
金中心の幸せ感が理解できない。貧しさと豊かさに幸福感は比例していないと思う。メンタルとは不思議なもので貧しさからでも幸せはあるし豊かさでも幸せは見つける力さえあれば問題はないのだけど。どうも一般的には景気と幸せは比例している勘違いをした人達が多い気がする。

私が貧しさからそう考えるのでは?と思われるかもしれないが…世に言う一流ホテルを利用しても、自分がそういう世界に不似合いな生活をしていると、座っていてもホテルでは落ち着かないし、やはり
火燵のほうがゆっくり出来たり安心したり幸せだったりする。そう考えると日常が一番幸せで、一流ホテルも極貧生活も
不幸せなのだ。
大トロは美味だが毎日は食べられないように、幸せとはいつものたわいもない日常にある気がする。
だから今日は夢を見なかったのかもしれない。そんなことを、ふと…考えた。

努力も目標も
実は、絵に描いた餅みたいなもので
本音努力しなくても
天才は能力があるし
目標もあってもなくても、能力がある人は出来て当たり前なのだ。

そういう、どうしようもないことは世の中に沢山ある。

目標も努力も、しなくてやりたいことをやっていたら凄い人になってしまっただけが結局は真実だと今更ながらつくづく感じる年齢になった。
センスがなかったり
感性がなかったりすると努力なんて無駄だと思う。介護中に
私はサービス業務を日々していたので、脳が介護向きだっただけだと今更ながら思う。

向いてない人はさっさとやめるべきだと思うのが仕事ですね。
まあ結局は自己満足の中で、たまたま自分が誰かに幸せを与える仕事が出来たら最高なんですけど。

つい最近考え深いと言われるように、なりました。

世の中はもっと浅い感覚らしいです。
そういう未来に対しての危機感が、あるから前向きでいたいと思うのかもしれません。
葬儀をして安心して死ぬ権利を保てる医療の必要経費をざっと計算したりします。
年金があてにならない時代がくるととか 危機感ばっかりがある日常でごく平穏に夕食を食べている時に借金をしている人の生活を考えたら、根性なしの私には大胆とさえ思う行動です。多分昭和時代感覚はあんまりないですが、平成時代感覚でもありません。
まあその時代その時代自分なりに豊かでも貧しくても無理せずに等身大で生きていけたら幸せだと思います。
そういう私が月を見る夢をもち、少しづつ長生きしたいと思いはじめました。
生きているからこそ
見れる月夜。
不思議なものです。 一つの大切な欲と執着ですね。
いや、愛着でしょうか。悟りを捨てて欲を素直に受け入れるのも人生かもしれませんね。